ターニングポイント
ここがターニングポイントのようだ
わたしの運命が変わって一日が経った。
こんなに明確な状況変化を体験したのは、七歳の頃と、十歳になったとき以来だ。
家を出てくことになった。
それも来週の火曜日だ。
あと三回この家で眠れば、つぎの晩にはわたしはもう別の屋根で眠っている。
場所は例の温泉宿に決まった。
いろいろ買い出しがあるうえに、わたしの誕生日を待たずに出発となったので(意図的)、その前にこの休日を利用して、お祝いをしようと企んでいるらしい。
わたしは誕生日を祝われるのが苦手だ。
とくに親からそれをされるのが苦手だ。
これは幼少期のころからで、わたしは「お菓子買ってあげようか?」なって言われても、素直によろこべない子供だった。
いま、187mlワインをボトルから直に飲みながらこれを書いている。
瞼が熱く、喉が渋い。
祝いは、わたしの好きなハードロックカフェに行くのだろう。
焼き肉が苦手なわたしがリクエストしたからだ。
最後にモヒートを飲みたい。
別にモヒートを飲むのが最後ではないだろうけれど、この生活のおしまいにモヒートを飲みたいというだけのことだ。
十四歳の頃から「老人と海」を読んで、飲みたいと思っていた(老人と海にはモヒートを飲む描写はないが、ヘミングウェイが愛した酒だから)。
残りわずかになったワインでさえ、この酔いの回り。
きっと三十パーセントのモヒートを飲んだら、泥酔してしまうかもしれない(泡盛ではそうなった)。
母はやたらと俺のベッドを買いたがる。
もう俺が寝ることもないし、帰ってくるつもりもないのに。
それを伝えると、泣きそうな顔をする。
母はやたらと俺が行きつけていた地元の美容院を出して、「髪を切るときは帰って来い」と言う。そのためにわざわざ迎えにあがるとも言いだす。
新しい場所にも美容院はたくさんある。少なくともここよりは沢山ある。
そう伝えると、泣きそうな顔をする。
車を運転しながら、ベッドマットレスを通販で見ながら。
新生活の不安はあるだろうか?
それは無いように思う。
ホームシックも、なにもない。
普段からホームシックのような感情に陥ることがある。
だから安心だ。
一番つらいのは、出発日の火曜日までと、その当日である火曜日だろう。
きっと母は泣く。
しばらくわたしとは会えなくなることを、彼女は知っているからだ。
これでも孝行しているつもりなんだ。
ほんとうは姉のように、消え入るように家出してしまいたい。
けど、わたしは姉のように頼れる親族も、友達もいない。
別れ際になって、わたしに家があるような錯覚をさせないでほしい。
そんなものがないことは、この数年でよく知っている。
やっと、自分にふさわしい時が来たのだ。
わたしの望むことといえば、だれかの声が聴きたい。
できれば女性が良い、といえば下品かもしれないけれど、男は怖い。
わたしは男が怖い。
自分がとても弱っているのを感じる。
大丈夫だ。辛いのは今だけ。この数日だけ。良く知った苦しみじゃないか。
火曜日には新しい屋根がある。
そこが悪くても、新しい悪さがあるだけだ。
誰か、わたしに触れてくれないだろうか?
やることは決まっているから、なにも言わなくていい。
ただ、撫でてくれるだけでいい。それだけで随分と強くなれるから。