セルフネグレクト
「セルフネグレクト」
某動画サイトでセルフネグレクトの取材が配信されている。
取材を受けた男性は非常にハキハキとした調子で応対していた。
まさか精神的に病んでいるとか、生活に困窮しているとか、そんな様子は一切伺わせないような余裕のある話っぷりである。
実際には彼のような人がセルフネぐレクトに悩む人なのだ。
男性が話す調子とは裏腹に、後ろの部屋では絶望的ともいえる光景が広がっていた。
部屋は雑誌や趣味で集めていたものが床に散らばり、足の踏み場おろか、ほとんど腰を下ろす場所すらない。
黒ずんだ浴槽は使った形跡すらなく、男性本人もシャワーだけで済ましていたという。
男性は派遣社員として週七日働いている。
そんな彼が自身をいたわることせず、またその余裕もないのだ。
セルフネグレクトとは、自身の身の回りの快適性や健康の管理ができない状態の総称であるらしい。
悲惨な例では、岐阜県でセルフネグレクトの父を持つ一家が、父が死に、母が死んだのちに、息子が餓死した状態で見つかるといったものもある。
高齢者などに見られる孤独死だが、比較的社会との交流がとれる四十代半ばの年代でもセルフネグレクトによって孤独死を迎えるケースがあとを絶たないらしい。
空調に無関心で登山などで発症する「低体温症」によって弟を亡くした男性が紹介された。
男性の弟はまだ四十半ばであり、ある日突然仕事の取引先が連絡が取れなくなったということで自宅を訪問したところ、すでに亡くなっていたそうだ。
弟の自宅はパソコン機器などで散らかり、セルフネグレクトの傾向が見られたという。
散らかった部屋でクーラーのリモコンを紛失したまま猛暑や冬を乗り越える人もいる。
男性の弟もその一人だった。
弟の死をきっかけに男性は安否確認をするラインアプリを開発し、運営しはじめた。
登録者が「今日は元気ですか」という質問に「ok」と返事をし、返事がなければ再三のメッセージを送信する。
それでも連絡がなかった場合は登録されている連絡先に報告するという仕組みだ。
生産性が高まった現代では機会が人に代わって労働する環境が増えている。
実際には一方的な期待となっているのが実情だ。
テクノロジーを導入することができない企業は人員を増やし、取引先のニーズに応えるべく機械と同等かそれ以上の生産性を労働者に課す。
ここで根本的な限界が見えてくる。
我々はいわば自己メンテナンスが可能な労働者であったが、機械と同等かそれ以上のパフォーマンスを発揮するとなれば、必然的に自己メンテナンスの機能が難しくなる。
疲れた体を風呂に入って労わり、栄養のある食事をつくり、睡眠する。
これらを私たち自身で行うこともまた労働の一環であり、個人の要領には違いがあるにせよ、一度その要領を越えれば風呂を貯めたり、食事をつくったり、睡眠をとることすら難しくなるのだ。
機械には大抵の場合、技師がついている。
彼らが仕事を与え、機械の不調に合わせてメンテナンスを行い、休息をとらせることによってはじめて生産性のある労働が保証されている。
我々人間も機械も、労働においてはそう変わりのない存在であり、生産性を求められる環境においては相応のマネジメントが必要だ。
生産性を求められる環境にいかにして個人レベルでのマネジメントを導入できるかが、持続的な社会を構築するうえでの課題だと思われる。
(筆者から)
個人的な見解については散文を作成したいと思います。