家を出た
家を出た
二つの気持ちがある。
一つは、ようやく家を出られてよかったという気持ち。
もう一つは、やはり自分の労働への抵抗感だ。
家出当日は「予想通り」最悪だった。
職場である温泉宿へは、母が車で送ってくれた。
わたしは今後の生活のために、数千円の電車賃さえ節約したかったのだ。
お金さえあればこんなことをする必要はない、というか、しないほうがよかった。
当日には、なぜか母の再婚相手が同乗することになって、新生活を控えたわたしよりもソワソワと落ち着きなく、見ていて不快だった。(運転もしない癖に、温泉に入りたいからと言ってついてきた)。
車での送迎を許諾した理由として、わたしの荷物の多さがあった。
段ボール三箱に、リュックサック、キャリーバッグ、トートバッグ。
どちみち三箱の段ボールはあとで発送してもらわないといけなかったし、残りの荷物も、無理だとは言わなくても、数時間の旅路を共にするには少々重すぎた。
これからは荷物は三分の一にすべきだろう。
出発十五分前になっても、母の再婚相手は戻ってこなかった。
なんでも、わたしの荷物を運ぶための荷台を借りている倉庫から持ってくるらしい。
しかし、一時間半前に出て行ったきり、まったくの気配なし。
母の鬼電話にも一切応答しない。
出発時間の十五分前だったのが、出発時間の十五分遅刻しても状況は変わらなかった。
母はイライラし始め、わたしはというと呆れと家出の目的を再確認して冷静にいた。
とうとう彼から折り返しの連絡があったのは予定していた出発予定時間からニ十分を過ぎた頃だった。
なんでも、荷台を取りに行ったついでに郵便局に寄っていたらしく、彼が言うには「局員がモタモタしていたせいで遅れた」と言うのだけど、そもそも、予定でギリギリのこの日に郵便局に行く必要などないのである。
このことを母が口うるさく電話に向かってキーキーと喚いた。
スピーカー越しに再婚相手の激昂する声が聞こえる。
両手に抱えた荷物に重心を揺らされながら、わたしはゆらゆらその喧騒を眺めていた。
間もなく、母が運転する車で再婚相手を拾いに行くと、そこには負け犬のような男が汚らしく立っていた(感情的な文章ですね)。
彼は、耳抜きが必要になるほど車の扉を強く閉めると、郵便局員を非難する言葉を吐いた。
『なんで手続きにそんな時間かかねんボケがぁ!』
わたしたちは黙っていた。そう提案したのはわたしだった。
ようやく出発した車は、またもや引き返しを余儀なくされた。
母が財布などを入れた鞄を忘れたのだという。
彼女の忘れ物癖は酷いが(毎朝、携帯電話を忘れていく)、この機に及んでもそれが出るとは、言葉にならなかった。
わたしは『最悪、派遣担当の人に電話しないとな』
と、嫌味の意味ではなく、正直な懸念として述べた。
再婚相手は『なら早く電話しろや!』
と、苛立たしそうにわたしに怒鳴った。
結局、出発予定を三十分過ぎて、ようやくわたしたちは町から出た。
とくに焦りもなかったけども、車の揺れがわたしを不安にさせた。
再婚相手の鼻息の荒い音や、荷物をまさぐる音が不快で仕方なかったので、ずっとイヤホンをして大音量のEDMを聴いていた(いまも聴きながら書いている)。
したがって、目的地に到着するまでわたしたちの間に会話はなかった。
母はとても車を飛ばした。
高速道路とはいえ、ときどき命の危機を感じる運転を見せた。
運転中にスマートフォンでネットサーフィンや、通話する彼女の運転は普段から危なっかしい。
ここで死ぬのかな、と、ポツリ、なんども思った。
そういう死を想像して、漠然とした不安に揺られていた。
結局、死ぬこともなくわたしたちは旅館へと到着した。
ロビーで待っていると、温泉宿の総務課の女性が寮まで案内してくれた(良い人)。
彼女は荷物を両親(母と再婚相手)と運ぶのを許諾してくれたけれど、わたしが望んだことじゃなかった。
母が望んだことだ。
再婚相手と共に、段ボールなどの荷物を持って、わたしが新生活を送る寮まで運んできた。
寮の中に入るのは、わたしが頑なに拒否した。
こいつらを、ぜったいに、わたしの生活に入れたくなかった。
荷物を玄関に置かせると、一旦解散することになった。
あとでもう一度落ち合って、温泉に行くらしい。
総務課の女性から職場の案内を受けると、あとは自由時間だった。
時刻は十九時くらいで、晩御飯時だ。
できるだけあの人たちに荷物を触れてもらいたくなかった自分は、一気に抱え込んだ反動で筋肉痛と空腹でふらふらしていた。
とりあえず、旅館の駐車場で落ち合うと、母はさっぱりとしていて、再婚相手はむっつりしていた。
良い店を見つけた、と言うので車を走らせると、その店は閉まっていたり、では温泉のフードコートで食事しよう、となると、次は温泉の駐車場を探すのに十分弱迷った挙句、なんども通った場所にその駐車場があったという、最後の最後まで段取りの悪さをみせた。
ここからは何もおもしろくない。
たださっぱりした母と、むっつりしたままの再婚相手と共に食事し、風呂に入っただけだ。
旅館の前まで送ってもらって、別れを告げた。
とはいっても、それは永遠の別れには思えない別れかただった。
母もどうせそんな風には思っていないのか、もしくは意図的にそうしたのだろう。
『それじゃあ』とだけ言って、わたしは寮に戻った。
もういちど荷物の整理をして、明日に備えるために眠ることにした。
耳栓をして、用意された寝具に寝そべると、ほかの住居人たちが帰ってくる足音が背中に響いた。
わたしも、明日からは彼らの一員だ。
目を閉じると、そこは寝心地も、空気も、なにもかもが「自宅」と呼んで「自室」と呼んでいた場所と変わりなかった。
入寮数時間で、わたしの家はここになった。
あるいは、そんなものはまだ持てないのかもしれない。
わたしはそれを探す旅に出たも同然なのだから。
読んでくれてありがとう。