ホシノアカリ ー水瓶ー

小説を書いています。日常や制作風景などを発信します。

ゲイン、それすなわち顔

ゲイン

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 新しいワイヤレスキーボードを購入した。
ロジクール社のコンパクトサイズの製品で、後にiPadを購入する予定があるのと、現在執筆用に使用しているノートパソコンの「I」が強く押し込まなければ反応しないという症状を見せたための買い物だった。

 最近は出費が多い。非常に多い。
前筆のワイヤレスキーボードのほかに、ソニー社のワイヤレスヘッドホンまで購入した。
おかげで執筆環境はとても快適になったが、お財布のなかは寂しい現状である。
それでも、だ。
今回の有意義な買い物が負担に思えてしまうとはどういうことだろう。
間違いなく、今回の買い物はわたしの活動に良好な影響を与えたのだ。
他にわたしは何にお金を使えばよかったのだろうか?
 ここでまず、わたしの一か月あたりの出費についてお話せねばならない。
わたしは、知人たちにはよく言っているように、ひと月当たりに書籍を大量に購入する。
具体的な冊数は20~30冊といったところ。
自虐気味に「毎月が入学式だよ」なんて漏らしてはいるが、なんとなく気に入っている。
内容は古典文学から大衆文学。エッセイ、辞書、学術書、エロ本に至るまで多岐にわたる。
それら一冊あたりの値段はせいぜい500円~2,000円の間で、お財布にやさしく設定されているが、束になれば、本は厚みをまして、支払う札束の枚数も増えていく。
結局、わたしは月20,000円~30,000円を書籍への出費として設定している。
 もちろん、お安く買う工夫はしている。
ブックオフオンラインや、Kindle unlimitedを利用したり、オンラインで購入できる書籍の冊数や価格に自身で制限を設け、残り金額を握りしめて、引きこもり根性をかなぐり捨てて書店に繰り出すということもしている。
読まずに本棚に眠っている本も今までいくらかあった。
それでも、紙の本を買うのをやめられない。
電子書籍の活動をしていながら言うことではないかもしれないが、「紙の本がなくなる」などと言っている方々は安心してほしい。わたしやあなた方が生きている間はとうてい起こり得ないことだ。わたしたちのが死ぬ頃に紙の本が高騰するくらいが関の山である。
読書形態は電子書籍の進化によって移り変わりつつあるし、いずれ読書文化の主権すらも握るやもしれない。けれども、わたしたちに肌があるかぎり、紙とそこに印刷される黒い文字たちはいなくならない。
 わたしは、書籍に触れるのが好きだ。
綺麗であれば自ずと手に取りたくなるし、黄ばんだりして汚くなっていたらそこに至るまでの過程を想像してみたりする。
これは人間と接するときにも当てはまる。
わたしたちは容姿端麗な人物を見ると目を離せなくなるし、背の曲がった老人を見ると、彼らが若かったころを想像してみたりする。
本は一時的に生命活動を停止させられた人間の顔が横たわっているような存在だ。
それらは生ける私たちの指によって動力を得て、無音の言葉を話し始める。
私はいろんな人に会いたいのだ。人にも、死人にも、変人にも、殺人鬼にも、文豪にも。
本や絵は概念を遡れる、アナログなタイムマシンだとも言えないだろうか。
音楽はその点においてハイブリットな文化である。

 さて、本に対する持論を語るのは良しとして、わたしの経済状況は把握していただけただろうか?
今度の出費ではこの素敵な出会いをひとまず脇に置いて、衣類や靴などに投じることにする。
わたしたちはいつまでも過去に生きていられない。
わたしたちは永遠には生きられないから。