限界が近い
限界が近い
とてもそう感じる。感じるだけではなく、予測的に考えてみてもやはり私の精神状態は限界に近い。
あまりにも日常的なことに気を取られすぎていて、まったく創造的なことに集中できていない。わたしは現実の世界に多くの幸福は望めず(一切ではない)、いまの日常的かつ雑用的雑務に囚われ続けることによってダメになる。
問題を抽出しようにも、それら自体が多勢に無勢といった具合で、結局はわたしの思考原の草を食む群れがどこかへ過ぎ去ってくれるのを待つばかりなのだ。
一応、岐路はある。だが、そこへたどり着くまであと、二週間だ。この時間は目には短く、肌には長い。人は目に頼るものだが、肌が一番鋭敏に時を感知している。
本来の自分でいられないことほど人を揺さぶる事象はない。
わたしは芸術家ではないが(人はそう呼んでくれることもあるかもしれないが)、記録者であると確信している。分析と解析、内向と外向、これらを司る者であると、己を信じている。写実のなかにシュールを見つけ、人々に掲示する。それらがどんな光景を持っているのか、わたしには分からない。だからこそその光景を作りあげるのだ。
世にはバグだらけで、それらのなかには案外おもしろいものもある。わたしは個人間で生まれる矛盾についてはとことん嫌悪するが、人間社会全体で引き起こされる矛盾には、関心と愛情すらも寄せているのだ。それらに胸痛められることもあれば、首を傾げるときもある。だが、それらも人が生まれる前の陣痛なのだ。わたしたちは痛みの最中にある。
わたしも、もう少しすれば・・・あと二週間すれば生まれるのだろうか。