ホシノアカリ ー水瓶ー

小説を書いています。日常や制作風景などを発信します。

火を飲むー子供の頃は冷たいものばかり飲んでいた

子供の頃は冷たいものばかり飲んでいた。

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 よく「子供は火の子」という言葉を聞いて育った。

わたしや、同じ子供たちは冷たい物を好んで飲んだ。

コーラや果物のジュースに始まり、水さえも氷入りでなければ不服であった。

何故、大人たちが寒い寒いと言いながら茶や白湯をすするのかまったく理解できなかったし、「身体が冷える」という体験をすることもなかった。必要とあれば冬先であろうとも半袖半ズボンで登下校に臨み、大人たちに苦笑される。わたしは真に火の子であった。

 冷えを本格的に実感するようになったのは十八を超えたあたりからだと思う。十四歳くらいのときから自然と白湯などを好んで飲むようになり、十八になるまでの歳月で冷たいものからはどんどん遠ざかっていった。いまわたしは二十歳であるが、とうとうコカ・コーラさえ常温のものを飲むようになった(炭酸飲料からも離れつつある)。朝に身体が欲するのはガス火で沸かした白湯や、最近マイブームの「卵湯(マグカップの中で卵を溶き、かき混ぜながらゆっくりお湯を注いだシンプルな飲料)」だ。

 火の子はいつしか火を飲む子となった。わたしがここで語るよりも詳細な根拠をもってこの原理について解説する書物があるだろう(アーユルヴェーダなど)。ここでわたしが語る体感としては、焚火のような仕組みが身体のなかで営まれているということである。

そして、人の炎は子供の身体においては手足まで行き届く火力があるが、大人の身体では胴体までしか温めることができない火力なのかもしれない。

あるいは年と共に衰えていくのか。

身体を労わったり、運動することと密接な生活を築いている人々はこんな気苦労はないのかもしれない。残念ながら、わたしはあまり自分の身体を労わってやっていない。

白湯や卵湯などを飲み、体操をして、好き嫌いなしに何でも食べるが、タバコや唐辛子を好むから内臓をよく悪くしている。

 

 

「死にたい」と言う薬の服用方法

「死にたい」と言う薬の服用方法

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 これは心がそう願っていることを肯定することによって得られる療養効果、リラクゼーションのようなものである。

我々は、死の肯定、以外にもこのような場面に遭遇することか少なくない。

たとえば、ダイエットという義務があるのに食べるアイスクリームはとても旨いし、公然わいせつで逮捕されるかもしれないのに試みる青姦は気持ちがいい(やったことはないが)。

つまり、「生きなければいけないのに、死にたい、というのは気持ちいい」ということである。 しかし、この言葉を信用して死んではいけない。 必ずしも、心が発した言葉が正しいとは限らないし、必ずしもこの世の言葉が優れた心の翻訳機であるとは限らない。

「死にたい」という言葉は実は言葉の嘘、間違いで、我々はこの状況において「死にたい」と言うときには、「自殺したい」あるいは「死を迎えたい」という意味で言っているのではないのだ。

あるいは「消えてしまいたい」とか言う人たちもいるだろう。

わたしがそうだった。

「存在自体がなくなればいいのに」というのが、とりわけ10代中盤頃にわたしの心が発していた声だった。

「死にたい」とも何度もつぶやいたが、そのたびに自分が死にたいわけではないのは理解していた。

では、わたしを含めた、死にたい人類はどうしたいというのか。

答えは簡単で、わたしたちは生きたくないだけなのだ。

仕事にも行きたくないし、飯も食いたくないし、眠りたくもないし、話したくもないし、何もしたくない。

現在における「生きる」ということに伴うタスクをこなしたくない。

けど、実は生きたくもあって、けれど、今日のタスクをこなさないと、明日からは背中を指さされて生きていくような気がする。

こういう訳で、人は苦しむ。

だから、生きることをやめる、というのは必要な人にとっては、とても必要なことである。

対処方法を探すのは簡単だが、熟練する必要がある。

日ごろから心に耳を澄ませて、自分だけの真の言葉を覚えておかなければいけない。

そろそろ次の記事を投稿しませんか?

そろそろ次の記事を投稿しませんか?

 

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 はてなブログ運営からメールが届いた。

わたしは、ブログに何かあったのか、と思った。

コメントがついているけれど未確認だから確認しましょう、とか。

しかし、コメントなどついていないのだ。

それもそのはず、わたしのブログは最後の更新から一か月が経過していた。

このメールは、次の更新を催促するメールだったのだ。

 

『そろそろ次の記事を投稿しませんか?』

 

 ちょうど更新しようと、数日前に決心がついたところだった。

その決心を、LINEで繋がりのある読者さんに伝えたりもした。

 

『ブログ更新しよ』

『楽しみです』

 

 結局、読者さんの楽しみは、数日間置いてきぼりになった。

それもそのはず、わたしの遅筆ぶりは半端なものではなく、ここ数か月の間にあげた成果といえば短編の原型を完成させただけ、といった具合だ。

別に焦ろうとは思わない。いや、焦ってはいるのだけど。

文章を一切書いていなかった、というわけではなく、個人的なものはしっかり書いていた。

たとえば、手紙である。

これは某温泉地へと働きに行った数か月の間も欠かさなかった。

というか、ほぼ毎日手紙を書いていた。

そのモチベーション、というか、原動力というのは、やはり読者がいるということが多きく、しかも、その読者から返事が返ってくるのだから楽しいことこの上ない。人は選ぶが。

 では、わたしの小説には読者がいないから、その原動力に欠けるのか。

これは正解であり、不正解でもある。

事実、現在わたしの作品には明確な読者は存在しないし、明確にわたしの作品の出来になにかを左右される人々などはいない(出版社など)。

しかしながら、自分という読者は常に存在しており、その実現を切望しているのだ。

二か月間も、その実現が見れないのは少し堪えた。でもきっと、多忙な生活で余裕がないのだと自分に言い聞かせたりした。

実際に時間ができても、それを書く気にはなれなかった。

わたしのここ数か月の執筆優先順位は

 

  • 手紙
  • ブログ
  • 小説

 

だったのだ。

 

ブログですら一か月の未更新なのである。

小説なぞ、一文字も書けない。

 

などと言い訳がましく書いたのだけど、ただわたしがこの数か月の間、執筆活動においてはなんの成果もあげてませんよ、と伝えたかったのである。

これは一大事である。

このままでは物書きとして人気者になるなんて夢のまた夢じゃないか。

でも、焦る必要はないんです。

わたしの場合は、どれだけ遅筆でもいいんです。

 

 こう書くのは、最近、わたしの思考に居座っている『暮らし』という単語が原因です。

どんな場所で、どんなものを食べて、どんな家に住んで、どんなことをしたいのか。

 

わたしは、都会から限りなく近い田舎に住んで、室内で育てたハーブや家庭菜園野菜で酢漬けを作って喰らい、仕切りの少ない見渡しの良い家に住み、興味のある本を読み漁りながら、妙にラブレター染みた手紙を書き、その合間に小説を書き、ブログを書き、それら(小説とブログ)でお金を稼いで、ときどき知人を招いてボードゲームをして、夜には自作のロウソクを灯す日々を送りたい。

 

 いまの生活は、思い描くものとは程遠い。

それはわたしが遅筆ながら更新してきた、このブログの記事を読んでもらうとわかるだろう。

いままで書いてきた記事の生活が、また今の生活になっている。

最悪だ、と言いたいところだけど、生活はそれほど最悪でもない。

わたしは手紙を書き、小説を書き、ときどきブログを書く。

室内では食虫植物を飼い、興味のある本を読み漁る。

西村賢太にはなれない。

  西村賢太にはなれない。

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 そういうことを目指していた。

そうすることを企んでいた。

私小説のような試みだ。

彼の本を読む以前に、川端康成をはじめとした文豪たちや、オーストラリアの写真家、Nirrmi FirebraceのブログやSNS運営を見て、同じようなことができると思っていた。

自分も彼らに引けを劣らない体験や、経験があって、なおかつそれを上手く「読み物」として完成させる、確信のようなものがあったからだ。

 実際は違った。

自分の意図しないところで、自分の意図しない場所を覗かれるという現象について、なんの考えも持っていなかった。

よく考えなくても、こんなことは誰にだって思い当たることだろう。

例えば、人に住所を教えるようなときだ。

相手の氏名、住所、職業、人柄を知ってなお、相手が信用するに値する人物だと確信できるような場面にやっと教えられるような情報。

彼らのようになるというのは、ある意味では、自分の心の住所を不特定多数の人々に晒すことなのだ。

 別にこんな風に真実めいた書き方をしなくても、こんな問題は一番初めの、この企みが頭のなかを横切ったときから意識しているべきことだったのだ。

 一応、これについてまったくの懸念や関心をもっていなかったわけではない。

懸念や関心を持ちつつも、結局は、燃え盛る火の輪を、無傷でくぐるか、火傷を負いながらくぐるかの違いに思われたのだ。

ガジュマルの木の鼓動

 ガジュマルの木の鼓動

 

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 三連休はあっという間に過ぎた。

 

 一日目はすごく眠った。

起きて、社食を食べに行って、あとは何をしたのか忘れた(部屋でずっと考え事をしていたような気がする。ひどく落ち込んでいて、人恋しくなった)。

ある人からの手紙が旅館のシステムで手元に届くのは連休明けになると知って、妙に憂鬱になった。Amazonで注文した日用品の発送が連休中に行われそうにないのも原因であった。

 

 二日目は自分なりにアクティブな一日だった。

北神図書館まで行って、図書カードを作ったりした(在勤を証明するものが無かったわたしは、リゾート派遣の担当とのEmailでのやりとりを開示することでカードを作成することができた。司書さんの柔軟な対応に頭が上がらない)。

 図書館で、パソコンを広げるのだけど、思ったより身が入らなくてすぐに撤収した。

ここは主に資料調達のために使うことになるだろう。

寮へと引き上げるために駅へと向かう前に、マクドナルドでコーヒーとフライドポテトを注文して休憩した。

わたしはコンビニでの経験があったせいか、『客と店員』、つまりカウンターを挟んだ関係に陥ると、それが誰であろうと接客をしてしまう。

相手が「店員」であってもだ。

たぶん、店員さんたちから見たわたしは普通の客じゃない。

店員と店員の対話なのだから。

 外を眺めながらポテトを無心で頬張る。味はなかった。

コーヒーはうまく、本格的なカフェインに気分が良くなった。

しかし、飲食の最中にコバエが集ってきて集中できず、一気にコーヒーを流し込むと、マクドナルドを後にした(毎日温泉に入っているのに、これではわたしが不潔みたいだ)。

 駅で切符を買おうとすると、ベビーカステラや、その他の菓子類を催促する人たちが甘い匂いと共にうろうろしていた。

キャリーカートを引く中国人がたむろしている、切符売り場を抜けると、帰りの電車にのりこんだ。

 温泉街は山を切り崩した土地が多いのだろう。

わたしが滞在するここも、その名残である坂道が多い。

というか、ほとんど坂道だ。

 実は、図書館に向かう前から目星をつけておいた店がある。

その店は、このあたりの店の例に漏れず坂道に位置していて、ほんとうに誰か買い手がいるのか、と思えるほどこじんまりとした園芸ショップだった。

駅やコンビニに行くのにも毎回通る場所なので、目につく。

 わたしはその店の裏に展示してあったガジュマルの木に惹かれた。

挿し木によって株分けされて、煉瓦鉢を模したプラスチック容器に植えられた木。

先日、通りかかった際、思わず足を止めて、その樹皮に触れてみた。

すると、ちいさな赤ん坊の脚程度の太さの木から、確かな鼓動が伝わってくるのである。

正直、まったく無縁の土地で孤独感を覚えてたわたしにはとても効いた(ホームシックではないことは強調しておきたい)。

家出する前は、それがパキラの木だった。

彼らに触れていると、静かな鼓動が全身に澄み渡る。

彼らが、そこでたしかに生きていることを感じられる。

わたしは、彼らのそんな生き様に感激するのだ(一種の森林浴効果)。

 値段は940円だった。

新生活を迎えてから一週間目のわたしにとっては安い物ではないけれど、とても良い買い物をしたと思う。

店員さんは三十代くらいの愛想のいい茶髪が特徴的な女性で、湿っぽい初夏の空気で目元のラメが光っていた。

わたしのような若い男性客に物珍しそうな反応を見せながら、互いの出身地や仕事について語った。彼女は独身で、今度の休日には奈良に登山に行くらしい。

「アクティブですね」

「そう、独身だから」

 

 部屋に帰ってガジュマルの木を窓枠に飾ると、こういう買い物をする自分がひどく愛おしくなった。

カフェインで気分がよかったのもあって、とにかく愉快だった。

そうして、しばらくは図書館の本に目を通したり、小説やブログを書いたりして時間を過ごすと、このあたりでは有名な日帰り温泉に行くことにした。

 

 

 三日目はさらに何もなかった。

勤め先である館内を探検したり、図書館で借りた「安部公房とわたし」と「キャリー」を読んでいた。

そうして、こうして、ブログを書いている。

単調だな、と思う。

心境に対しての現実が単調なのだ。

これを盛り上げるには、わたしの行動と、給料日までの単調な日々を過ごすほかない。

誰かとの暮らし

誰かとの暮らし

 

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 いままでは、それがパキラの木であったりした。

 母子家庭で生まれ育ったわたしは、「通常な家庭」や「通常の母子家庭」よりも孤独感を伴う時間を多く過ごした。

一人っ子ではない。

五つ上の姉がいる。

そんなわたしが「孤独感」などというと鼻で笑われてしまうだろうけれど(私自身が鼻で笑っている)、だからこその「孤独感」なのだ。

 

 十四歳までは、姉や母とは、基本的に毎日顔を合わせた。

自分は家庭内では比較的おしゃべりで、学校であったことや、得た知識やを披露してみるのだが、彼女たちがそれに応答したのは指で折る程度しかない。

いつも無意識に聞き流す、車内のラジオ放送のように、わたしの言葉は聞き流された。

つまり、会話はなかった。一方的に話すだけ。

これはわたしが生来のINTP-Aだということも起因しているかもしれない(反響板的会話)。

しかし、相槌はおろか、明確な質問への返答もなかった(わたしは質問することが多い子供だった)。

 例えば、小学校二年生のころ、わたしは「中途半端」という言葉の意味を知りたくなった。

辞書で引けばいいだろう、と思われるかもしれないが、わたしは人が実生活で認識している意味が知りたかった。

 

そこでまずは姉に質問する。

「お姉ちゃん、中途半端、ってどういう意味?」

「中途半端は、中途半端よ」

 

そこで母に質問する。

「ママ、中途半端、ってどういう意味?」

「中途半端は、中途半端よ」

 

同じ回答に腹を立てる自分。

二人は同じ顔で笑っていた。

 

 

 わたしにとっての家族団欒とはいつもこんな風景だった。

わたしが発言するだけ。

母と姉はひどく仲が悪かったから、二人が顔を合わせて笑うのはわたしに向かって笑うときだけだった。

 

 

 この様に、まともな会話を家庭内で経験できない子供は、学校社会でのコミュニティー形成にも苦心した。

自分は仲良くなりたくて、親切に話しかけているつもりなのに皆離れていく。

そういったことに疑問を覚える少年期だった。

放課後、埃っぽい部屋のなかでいつもわたしは頭のなかを泳いだ。

子供の妄想。神様について。信仰心について。

そういう時間はゆっくり流れた。

だから、時を早くしてくれる友を探した。

 他の男子より、とりわけ女子と遊ぶことが多かった。

会話もそちらのほうが弾んだようだし、安心できた。

母親の恋人の暴力に怯える日々を過ごしていたわたしは、同い年の男児にさえ、殴られる可能性を意識しながら接さなければならなかった。

こわかった。

 

 十二歳のときには、母が恋人と別れた。

ちょうど自分が中学生になるころだった。

六歳からの、それまでの暴力の日々は終わった。

かといってこれがわたしにとって幸福であっただろうか。

いまとなってはそうだと言えるかもしれない。

結果論でしかない。

 

 中学校は二年のときに不登校になった。

体調不良から始まった連休で「なぜ学校に行く必要がある?」という疑問が募った結果だった。

ちょうど母が今の再婚相手と交際を始めた。

 カラオケ通いや、オンラインゲームにのめり込む生活をした。

そこで様々な人たちに出会い、葛藤する機会を頂いた。

 

 中学校三年生のとき、ゲーム機をすべて捨てた。

きっかけはサカナクションだったろうか?

別にあのバンドがわたしに断捨離を教えたのではない。

ただ「アイデンティティ」という曲を聴いた瞬間、自分のなかで何かが変わった。

わたしの居場所はゲームの世界ではないと顕在的に認識した。

 

 母が再婚した。

再婚の際に一頓着あった。

わたしと母と再婚相手と会食をしたのだけど、そのときにわたしが母の肩を揉んだのが気にくわなかったらしく(都合のいいあてつけとしか思えない)、婚約解消目前まで揉めた。

 結局、わたしのせいだったらしい。

母は泣きついてきた。

わたしはそれを慰めなければならなかった。

母のスマートフォンで再婚相手にメールを送り、直に事情を聴いた。

「他人の携帯を使うのは、気持ち悪い」の一点張りだった。

 結局、わたしが母の肩を揉んだせいだったらしい。

 

 

 何事もなく二人は結婚した。

その後数年は、わたしたちは互いに接触をさけた。

 母は再婚相手との生活を選んだ。

朝の出勤前と、夜の着替えのときだけ戻ってきて、寝食は再婚相手の実家で行った。

そのときには姉も二回の中絶手術で母と揉めて、居場所を失い、わたしは一人、自炊の生活を送った。

そういう生活がこれまで続いていた。

 

 家を出て、偽物がいなくなった。

ひどく何も変わらなかった。

ずっと一人だった。

愛情を感じているときだけが満たされた。

それ以外の時間は自分と向き合った。

 

 胸が張り裂けそう、と言う人がいる。

わたしは、胸を張り裂きたい人間だ。

そうすれば何か見つかるかもしれないじゃないか。

 

感傷に浸るとポエムが出てくる。

ゆっくり、時間をかけてお話ししますね。

消化はまだ続いている

 消化はまだ続いている

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 先日、家出が完了した。

これは自分にとって大きなことで、数年にわたって計画していたことだから、達成感とまではいかなくとも、一皮剥けそうな亀裂が入った、といった具合だ。

 

 この数日間の間だけで、いくつもの出会いと問題が発生した。 

色々計画の変更を強いられたりした。

ただ、こうして書き連ねることで安らぎを覚えられるのは、ほんとうに自分にとって嬉しいことである。

 

 母からはほとんど毎日連絡がある。

まだ要件に関係のない内容のものはないが、いずれそういうものも始まるのだろう。

二回ほど通話したのだが、その度に泣いているような声(たぶん本当に泣いている)を出し始める。

猫が寂しがっているとか、再婚相手もさみしいと言っているとか(彼は本心で言っているのではなく、母の気持ちを汲み取って喜ばせるために言っている)。

なにかにとってつけて「わたしの居場所」が彼女の元だということを強調してくる。

 わたしは今度の週明けに三連休を頂いている。もちろん母と再婚相手の元には帰らない。

「消化」はまだ続いているのだ。

わたしはずっと母や身の回りの人たちを許そうとしてきた。

しかし、自分がその渦中にいる間はそんなことは到底できないと理解した。

これだけが理由ではないが、こういうこともあって家を出たのだ。

生活への不安から、ふと、そういう選択肢がよぎることもあるが、あそこへと戻ることはまったく想定していない。

 仮に、あそこへ帰るとどうだろう?

もちろん、あの人たちは迎えてくれる。

しかし、それは偽物だ。いつも偽物だ。

わたしは彼らに対して「偽物でもいい」と思えるようになるまで、まだ時間がかかる。

 

 母から荷物が届いた。

わたしが忘れていった下着とか、タンパク源となる缶詰め、お菓子が詰められていた。

そういった物の間に手紙が挟まれており、内容は

「無理しないように」

とのことだった。

封筒には何も書かれていない便箋が一枚入っていた。

 

 

 正直、わたしの勤務先の仕事について書くことは、まだできない。

どこで企業秘密に触れるかわからないからだ(もっともそんなに詳細な内容を知りたがる人もいないと思うが)。

 わたしは某温泉街の厨房にいる。

仕事は大体の職場と同じで、これを継続できるかどうかは、私自身のプライベートの充実に依存すると思う。

ただ、今度は接客業を志願しようと思う。

そっちのほうが多少は刺激的で学びになる。

 

 これからのブログの方針は、主にわたしの生い立ちや、引き続き近況についての報告になると思う。

実生活のほうでは、グリーンバードのボランティアに参加しようしている。

もう六月二十四日(第四月曜日)の休みは取った。

兵庫エリアの方はわたしと会えるかもしれない。