インナーブルー
インナーブルー
黄色の服を着るようになったのは光を感じるから。
陽気なイエローにわたしは少しばかりのインクを落としてそれを暗く彩る。
勝手ながら『ロジックイエロー』と命名して、気に入っている。
イエローには思考が開けるような視覚的作用があり、わたしはそれを身に纏いたいと考えたのだ。
ただそれは皮膚にあたる部分であり、あらゆる動物が皮を纏っている下に肉と臓腑を隠しているように、我々も新しい皮には新しい肉が必要なのだ。
わたしはそこにブルーをチョイスした。
一般的には知的とか、あるいはセンチメンタルな意味合いを持つ色である。
やはりインナーにもインクを落として暗く彩る。紺。
いと、あまい。 よく出来た漢字である。
わたしは思考のイエローの下に少しばかりセンチメンタルな紺を内包する。
これでしっくりくる。まるで自分を着ているようだ。
日常の前にはどうやら無力であることをわたしは思い知らされる。
わたしに思い知らせる時間も日常にあるのだから、どうしようもない。
そういった時間はわたしには無きに等しく、十四歳の春から思考が日常に希釈されていくのを恐れ、避けた。
結果、時間はわたしに純度の高いインクを買い与えたが、インクは外側に落とすものであって、決して内側には落ちない。内側から生成されて、記録に用いられるのみである。
わたしは自身のインクが日常に用いられることを恐れる。それはあまりに個人的行為であり、容易くは金にはならず、容易く自身を救う。
世界に憑依された状態でインクを落としたい。世間ではなく、世界である。
けれどもわたしは肉であり、表には皮があり、その事実を忘れたとて内臓が決まって知らせるのだ。
そうざんしょ。そうざんしょ。
「水天のうつろい」ぐぐれぐぐれ。
写実とはなんたるか。
その実現はアカデミックなところに依る技法では実現できぬ。
わたしはそういうことを試みている。
むかぁしむかしから。
ローファイを聴いていた頃まで遡らされて、遡らせてくれた人へ忘却の音を聞かせた。
彼女は好きと言ったけれど、忘れるのだろう。考えすぎかな。
忘却は恐れるだけで事足りる。
わたしは自身に向けられる恐怖を想像するのをやめた。献血の針の先でやめた。
看護師にそれを伝えた。
「やめた」とか「変わった」というのは、そう成りきれていない証拠の最たるものでありますから、わたしは他人の恐怖を想像することを通して自らの恐怖を想像しているのでしょう。
150㎞のシティサイクル旅も日常である夜勤の五日間には勝てずじまいで、ここでもわたしは一種の諦観めいた感情を抱かざるを得ない。
わたしの非日常的な日常は日常のなかにあったのだから。
旅の先で食わせてもらった小松菜とお揚げさんが教えてくれた混迷の味。
そこには居られないという前提。
黄色い服。
インナーブルーな日常の臓腑。
写実の想像。
150㎞が知らせる五日間。
太陽は青くて、月はうそばかりを写す。
わたしもそれを真似る。