ホシノアカリ ー水瓶ー

小説を書いています。日常や制作風景などを発信します。

バイパス

バイパス

 

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 冬は肌を意識的にさせる。

いつもどんなときでも、肌が内臓を守り、わたしにも肌があるのだということを思い出させてくれる。

定期的に届く食事。

開きにくいドアノブに掛かったパンは外気よりも生々しい温度を保っている。

いずれわたしの肌になるのだから道理である。

脳で考える、と人は思い込むのだけど、実際は、肌で感じ、脳で思い、筋肉が覚える。

これらが合わさることで、はじめて「考える」ということになる。

旅は合理的に、また常にこのプロセスを繰り返す行為だから、散歩が精神科医から手放しの賞賛を受けるのも道理なのだ。

この季節に坊主にしたくなるのもまた上記の事々を踏まえると道理で、わたしはありとあらゆる毛を取り除いて、この肌を寒さで感じたい。

坊主にする夢を見た。

 

 

 

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 人を動かしても世界は変わらない。

世界を動かしても人は変わらない。

人が道を歩いても道は道のままで、人体に記憶が残るのみ。

道が人を歩いても、道は道のままで人は人のまま。

「変容し続ける」という姿勢が重要視されるのは、変容することに備えるためである。

変わらない世界にふと現れた迂回路。

そこが己と世界をつなぐ境界だと察知するための訓練だ。

人は世界に追いつくし、世界は人に追いつく。

ただこれは平等に、ではない。わたしたちがそうであるように。

身近な誰かの内向を繁栄させようとわたしは努める。

いつでも迂回路を見つけられるように。

インクはその設計のためにある。

 

 

 

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 親愛なるタロットカードによると私の子供時代に終わりがやってくるらしい。

それも「明日から子供時代は終わりです」といった具合で。

明日から終わる、という通告には慣れていて、慣れていることに慣れていない。

慣れるというのはそれが習慣であるということ。字の通り、明白だ。

わたしは新しいサイクルが始まり、終わることを習慣化している。

終わりは始まりで、始まりは終わり。

それが繰り返されることをどこからでも知っている。

だから終わりにはいつも「もう少しだけ」と思ってみる。

らしくないインクの無駄遣いをして、それを口で詠んでみる。

すると筋肉はそれを記憶して、しばらくは「もう少しだけ」がすべてが終わったあとでも舌の上に味を残す。

次が始まるまで、その内容物を考える。

前夜の空気はやけに澄んでいる。気を付けて。

 

 

 

 

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 釣りが大嫌いな十代を過ごした。

ただ連れて行ってもらうこと、エサを仕掛けることは大好きだった。

魚が掛かっても、決して釣られるなよ、と思った。

一度釣られると、お前さんは二度釣られる。

一度釣ると、わたしも二度釣る。

お前さんとわたしは同時に釣られるのだ。

だから釣られてくれるなよ。

幸いにも上司との釣りでは一度も釣れたことがない。

「三度目の正直ですね」

「そういうことになるな」

アメリカのスポーツをしながら、アメリカンスピリットを吸う。

なるほど、ここがアメリカか。

とても寒い。肌を忘れる寒さだ。

ひたすらにバイパスを探しながら夏餌を投げ入れる。