すべにともなう
「すべにともなう」
日常に涙するとは情けないでしょうか
例えば太陽がもっとも照り付けていた時期にわたしは日常の頓挫を経験しました
些細なことなのです
些細なことだったのです
朝には、たとえそれが昼だったとしてもおはよう、とか言って朝食を食べるか食べないかとかを議論する
何をたべるか
何をするのか
何時までには帰るのか
くそみたいに些細なことじゃないですか
個人的なお話をします。
たとえば私が、何をたべるかとか、何をするのかとか、何時までには帰るのかとか、そういったくそみたいに些細なことに高尚な幸福感を抱いてしまうことです。
日常を志したのは、冷え性の恋人に三月のほうじ茶を淹れたときで、葉から淹れるものですから、ティーパックとは違って私の分も淹れてしまうわけであります。
そうすると二人とも同じ体温になりまして、互いに感じることは違えども、違うということも同時に知ることができまして、知っているのもそこに居るのも二人ということになりまして、恋人が行ってしまったあとにも、彼女がその日に対面する人々はこんな時間があったなどとは念頭にも置かず、ましてや私のような不出来な者が多大な幸福を抱いているとはつゆ知らず、秘密で秘密になるのです。
とても稚拙な気持ちかもしれませんけれども、わたしは
白い壁が囲っていたところにもう一つ囲いを作ってみる
くぼんだ空間には何かあったと思えば消え
あったと思えば消え
消え
え
救済を求める声に身がすくむのは
ようこうそ、人間人へ!
人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間
わたしは「間」の先に誰も用意がないので、あなたを人扱いすることはできぬ相談なのであります。
わたしもあなたから怪物扱いされる道理なのであります。
人を立てると「ようこそ人間へ!」
だからって胎児のポーズで世間を渡るのが無謀であることはあからさまで
だからってママを作ってしまおう、というのはあまりにも軽率で
鬼だらけならまだ笑えた地獄も、人間人ばかりであるから「世」に「間」などが生まれる始末なのであります。
そうざんしょ そうざんしょ
見てごらんなさいこの景色を
ママ。 マんマぁ。 マァマ。ママ―! ママさん。 ママ? あーあ(?)
にゃー
間をとって、間をとって、間をとって、間をとるのです。
終いにはとり合いになりますから、そしたらまた間をとって....