ホシノアカリ ー水瓶ー

小説を書いています。日常や制作風景などを発信します。

「西野カナが引退するらしい」。そして自分の近況。

 山椒の清涼感溢れる香りの虜になっているホシノです。舌の麻痺すら許しちゃう。

とここまでは飯をローソンのカレーパスタを食いながら書いています。

 

・・・食べ終わりました。

ところで西野カナさんが引退するらしいですね。

さっきから「西野カナ」と打ちたいのに「西加奈子(作家)」とか「ニシンのカナ」とか売ってしまいます。

疲れてるのか。

そう、疲れています。

西野さんも疲れたのか。三十手前での一時リタイア。

あと数年後にカムバックする構図でしょうか。

ちなみに私が西野カナの曲を初めて聞いたのが小学四年生の頃でした。

きっかけは劇場版ナルトの主題歌になった『if』。

それと『会いたくて震える曲』も聞きましたね。

私は小学校五年生(十一歳)になるまで音楽を「音楽」として聞いたことが一度もありませんでした。

いまだからこそ、エレクトロニカとか、フォークソングとかを聞くわけですが、初めて聞いて感動を覚えたのはGREEEENの『刹那』です。

車内、家族での外食の帰り、なぜか気分が良さそうな姉がウォークマンとイヤホンを貸してくれました。

その時に流れていたのが『刹那』で頭のなかに反響する音で、身体が浮いているかのような錯覚を覚えましたね。

車の中で聞く音楽ってのはなんであんな馬鹿みたく気持ちいいのか。

そしてその車の中で流れる曲のなかに『西野カナ』も含まれていました。

母がアルバムを持っていたんですね。

しかしあの人の作詞は一貫して『恋』。

それも恋愛中の葛藤を、これ以上ない表現で刺身の様に生のまま振る舞うわけです。

自分が釣ってきた魚。如何に良い海で採れた魚でも、今の時代にそれを家に持ち帰ったあと生でお客さんに振る舞うのって勇気がいりませんか?

彼女はそれができる(刺身は振る舞わないかもしれないが)。

私は特に西野カナさんのファンでもなければ、個人的な面識もない。

しかし彼女の根性とか、そういったものに、曲を聞く度に打たれるのだ。

一部の人々は彼女に対してヤブ医者に対して行われるような冷笑的意見を浴びせる。

それでも彼女の軸はぶれない。私はそんな彼女を尊敬する。

海外旅行に行きたいらしいですね。ゆっくりしてください。

私たちは表面的な部分ではあなたに共感できなくても、その音楽に埋め込まれた軸に打たれるのでしょう。

 

 自分の近況。

昨日は一日中眠ってしまいました。

そのことを母に話すと鼻で笑う。

食事すら忘れてしまうほどには無気力です。

いちど虚無を知ってしまった人間はこれがダメですね。

そこから見出すものを見つけてみても、ふとした不調で暗い場所ばかりを見てしまう。

だから美味しいものを食べて、ペットとか恋人や大切な人と肌を合わせて、夜はちゃんと眠れるようにしておかないといけないわけです。

らしくないことを書きました。

七味唐辛子を振りかければ大抵のものは美味しくなるし、山椒をかければ香りが付く。

味覚がどうも鈍感になってきているみたいですね。

やはり考えることだけが、私にとっての救いらしい。

 

#追記

鬼束ちひろ聞きながらおいしいコーヒー飲むと頭の霧が晴れました。

薬物中毒一直線の体質ですね。