【今年の目標】価値観や頑固について説く人にありがちなこと
ただいま「青いキンタマ(仮)」についての小説を執筆しているホシノです。
この小説はウェブ投稿用の短編小説第一号となるわけですね(GOAT以外に投稿する場所を設けるのか検討中)。
歳が明け、私生活では様々なことが起こりうる一年となりそうな2019年。
平成の終了。新しい年号は?そういえばこの企画も進めておかなくちゃ!
集客戦略に長編の執筆。アルバイトしないといけないし、本もたくさん読まなきゃいけない!でもキチンと恋愛しておかないと自分がなんだかつまらない人間みたいだし・・・。恋愛もお絵かきも数学もゲームも執筆も睡眠も読書も全てやりたい。
こんな自分を「生き急いでいるな」と見て思う。
そして人は私を「頑固」だと誤解する。
私を「自分の世界で閉じこもっている人間」だと。
ある人が「個性を持つことは「頑張る」、すなわち「頑を張る」ということで、頑固を貫くことで自身の狭い居場所を確保しようとする阿保のことだ」と、私に解いた。
その人の眼には私が「頑固な人間」に映ったらしい。
しかしどうだろう。
私は自分のような人間ほど「頑固」からかけ離れた人間はいないと思う。
確かに私は一つのことに「短期間」固執する。
その「短期間」の中にある目的は分析と研究であって、無論、継続などは求めていない。
それはただ純粋な興味から湧き出てくるものであり、決してそれに対する執着心ではない。
この性質のせいで随分と他人を振り回したりもする。
しかし人間とは必ず一つの「軸」を所有していて、その軸を中心にそれぞれの人生を送っているのだと思う。
私は私のことを「頑固」と結論付けした人は「人生においての成功」に軸をおいていると考えたし、私の母なら「誰かを助けることで評価されること」、父なら「平和的な環境で自身の能力が発揮される場所」だ。
私の場合は「分析」と「研究」(自己紹介がオモンナ)。
そして「人生においての成功」を軸とする人は私の「分析」の軸を「人生においての成功」を妨げる「変化を拒否する要素」と捉えただろう。
分析のために少しでも一つのことに立ち止まっている私が気にくわなかったのだろう(傍から見た私はただボーっとしてるだけなのだから)。
変化し続けることで人は成長する(by数多の自己啓発書)。
そうかもしれない。
実際にほとんど正解だとも思う。しかし「軸」は欠かしてはならない。
軸がなくては「変化」を刻むことすら叶わないのだから。
そして他人のことを「頑固」だとか「価値観が合わない」というのは、この根本的な「軸」の性質の違いからくるものである。
そこで「価値観が合わない」と理解をあきらめ、自身の「軸」を正当化しようと努める。
これが「頑を張る」。すなわち「頑固」というもの。
海外旅行に行ったときに「時刻が合わない!予定が狂った!」と駄々をこねてるようなものである。
私は私に「頑固」について説いた人のこの矛盾点が気になった。
その人が自身の「軸」の正当性を守るために、それについて説いていると感じたからだ。
私はその人話を聞きながら「それはまた一つの個性ではないのだろうか」と思った。
「軸」である個性(価値観)を否定して得意気に「頑張る」ということについて語る人にとってこれほど皮肉なことはないだろう(ほんと笑える)。
否定。嫌悪。憧れ。嫉妬。劣等感。怒り。
感情はいつも理解からは程遠い(卓越した感受性のある人なら別だが)。
私は理解したつもりで皮肉を笑う。それは私の趣味でもあり、一つの主題でもあるかもしれない。
なぜなら私は鉄になりたいのだから。
今年の目標というか、一文字は「軸」です。
自身の軸を磨き、良いコンパスを作りたいものですね。